2018年紅白の松田聖子 還暦のユーミンとの決定的な差は?

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つい先ほど、平成最後の紅白歌合戦で松田聖子さんの歌唱が終わりました。

私は聖子ちゃんへの期待もめいっぱい込めて今年の紅白で歌う歌予想をしていたのですが、あっさりすっかり違っていました。なんとなく裏切られた感すらあります。

はぁ〜っ。

前半戦は結構頑張っていて、他の人の曲をカバーしたり、U.S.A.を一緒に踊ったりって、近年になく大活躍だったのでちょっと期待しすぎちゃったかなぁ。
→紅白歌合戦の前半で聖子が歌ったのはこんな曲

2018年紅白の松田聖子

歌ったメドレーとは?


阿部サダヲ始め、司会者たちに持ち上げられるだけ持ち上げられて紹介されたのは

「松田聖子さんの’80年代のヒットメドレーです!」

その言葉を聞いた途端になんか、懐メロ歌手になってしまったような気がして、とっても切なかったです。全曲キーは下げてるし、しかも安全な曲ばっかり。いやそれはいいんですよ(よくないけど)。

風立ちぬ→ハートのイアリング→天国のキッス→渚のバルコニーというメドレー。

生きてないんですよ、松田聖子が生きた松田聖子じゃない。よっぽどDA PUMPの「U.S.A.」で踊っていた聖子ちゃんの方が生き生きして、楽しそうに見えたんです。

→是非映像で松田聖子DREAM MEDLEYが見たい!という方はU-NEXTの配信経由で見ることができるようです。もちろんNHKのオンデマンド放送でも有料で見ることができますが、U-NEXTの31日間トライアルを使うことで無料で見ることもできるとのこと。1ヶ月で解約してもいいし、もちろん続けてもいいので、使ってみてもいいかもしれません。

口パク?それとも・・・

正直、私にはわかりません。

というより、実際に歌っていると、そこだけは死守してほしいと、なんとか歌っていてほしいという願いしかありません。

ただ、高音をストレートに歌っていた点、しゃくりあげるような音が全くなかった点からいうと、やはり歌っていなかった感は否めません。
それはユーミンの歌声や歌っている姿を見ると、よりその感覚が強くなり、圧倒的な差を感じざるをえませんでした。

<2019.1.1 追記>
クボッチさんからいただいたコメントを受けて、ちょっと感じたことを追記します。

私はかなりめんどくさい松田聖子ファンだと思っています。松田聖子に対して、その才能に対して往生際が悪いんです。

松田聖子はこんなもんじゃない!

と本気で思っているんです。だからたかだか紅白で、今の松田聖子の限界で歌っていたとしても「聖子ちゃんよかったよねぇ。よく頑張ったよねぇ」なんて言いたくないわけです。

ユーミンが出演しなかったらここまで思わなかったかもしれません。でも、ユーミンの存在感とその説得力に、本当にいたく感動したんです、今回。ユーミンの歌ったのはどちらも荒井由美時代の歌。懐メロも懐メロです。ジブリ作品でタイアップしたので現代でも有名になりました。
であったとしても、うん10年前の楽曲を、現代に生かす、現代に生きられるように育ててきてるんです。そこにはユーミンの自信と存在感が満ち満ちているように私には感じられました。
「みんなも、この曲みたいに生きてきたんだよね。そう、だからこれからも生きていくんだよ。私はまだまだこの先を走っていくよ。ついておいで」
って言ってくれているかのような、未来を感じさせてくれる歌になっていました。

これは私の完全な”感覚”でしかありません。でも、昔を懐かしんでノスタルジーに浸るだけの、そんな歌にはどうしても聞こえなかったんです。

松田聖子に懐メロ歌手になってほしくない、松田聖子はまだまだこの先歌手としての可能性がたっくさんあるんだ!

私は今でもそう思っています。

2018年紅白のユーミン(松任谷由実)

全国からユーミンの400を超える楽曲の中から”私の好きな歌”を募集していました。その結果を披露するということだったのですが、、、

ユーミンが歌った歌


「ひこうき雲」と「やさしさに包まれたなら」のたった2曲。しかも投票時に寄せられたメッセージにはほとんど触れることないままでした。一体投票に何の意味があったのか、、、甚だギモンです。星野源が2曲歌うなら、その1曲の時間をユーミンにあてて、ファンからのリクエストっていうからには3曲は歌ってほしかったなぁというのは勝手な私の感想です。

ユーミンと聖子の差

ユーミンだけじゃないです、確かに。「ひこうき雲」のピアノは武部聡志だし、「やさしさに包まれたなら」では松任谷正隆さんや鈴木茂さんなんかががっつり組んでましたから。

ユーミンも、最近はキーを下げてます。コンサートでも「真夏の夜の夢」も下げてるし、さすがに還暦を過ぎて高音は難しくなってきたというところですね。

でもね、ポテンシャルが全然違う!キーを下げても高音は出ないんです、ユーミン。でも高音を完全に裏声にしても歌えてるんですよ。そこに確かにユーミンが存在しているんです。

ユーミンが歌っている時に涙を流している方が何人もいらっしゃいましたよね。aikoさんも、安藤サクラさんも、心が揺さぶられてるんです。なんだかわかんないけど、その圧倒的な存在感に心を揺り動かされてるんです。懐かしいのかもしれない、切ないのかもしれない、嬉しいのかもしれない、、、

でも、松田聖子は昔の松田聖子のカバーをしている人みたいな感じ。だから、私はseiko jazzを歌ってほしかったんですよ。最低でもSweet Memories。80年代や90年代のヒット曲を歌う限り、聖子の歌マネができる人になってしまう。今の松田聖子に、昔の松田聖子の歌を今の自分の歌として歌うことはできないって、なんか痛感してしまったんです。

桑田さんとユーミン プロの気遣い


サザンオールスターズが歌ったのは希望の轍と勝手にシンドバッド。

その勝手にシンドバッドの、まずは前半で紅白に再出演となったサブちゃんこと北島三郎さんに向かって

「サアブチャーーン!」

と声をかけ、敬意をもって舞台の中央にきてもらうように促していました。

また、終盤の「ラララララララララー」になるとユーミンが舞台の中央あたりで盛り上げていました。それを見た桑田さんがユーミンに手を差し伸べ、二人で「胸騒ぎの腰つき」と歌いながら、まるでダンスをするように二人で舞台を、ステージを、客席を、そしてお茶の間を、まさしく最高潮に演出していきました。

それはもう感激というか、ウッチャンは

「感動のカオスです!!」

と叫んでいましたが、ほんとに超絶贅沢な時間だったんです。

桑田さんは
「さぶちゃんありがとう!ユーミンありがとう!うっちゃん、ありがとう!翔くん、楽しみにしてるよ(うろ覚えです)!すずちゃんありがとう!!」
と叫んでいました。

サブちゃんもユーミンも、特別な企画として召集されたアーティスト。そして司会者の方々。その双方を桑田さんが呼びかけることで尊重することができてるってところ、すごいなって思うんです。桑田さんは「自分はライブになると我を忘れて打ち合わせたことを忘れて舞い上がっちゃう」みたいなことをおっしゃっていたのですが、これだけ気配りができるなんて、本当にすごいなぁって。

ユーミンも、普段からアーティストのライブに行くと「盛り上げ隊」のように誰よりもノリノリでライブに臨むという話を聞いたことがあります。平成最後とか、サザンの30年以上ぶりの出演というところに華を添えよう、思いっきり盛り上げよう!と、さすがたくさんのライブやショーをこなしてきたユーミン、観客の温度というものをわかってる、、、また、サザンの歌が終わるや否やサブちゃんの手を取りステージ中央に案内していました。

彼らにとって、客席もステージも、全てが観客であり、楽しませたい、大切にしたい相手なんですよね。本当に感動した紅白のエンディングでした!

まとめ


1. 2018年の紅白歌合戦で松田聖子が歌ったのは、風立ちぬ→ハートのイアリング→天国のキッス→渚のバルコニーというメドレー
2. キーを下げ、口パクに見えないような口パクみたいな、どっちかなぁという感じの歌唱でした
3. ユーミンもキーは下げていましたが、その歌唱は圧倒的な存在感があり、高音が出なくてもそのオーラーだけで十分語って歌っている感じを受けました
4. また、サザンの桑田さんもユーミンも、プロとして相手を敬い盛り上げるっていう姿勢を、紅白のステージで魅せてくれました。

さいごに

紅白歌合戦での松田聖子について、たくさんの方が興味を持ってくださって訪れてくださっています。その中には私の個人的な意見に憤慨する方もたくさんいらっしゃると思います。その方々の気持ちは、少しわかります。(とってもわかります)

でも、私は松田聖子を諦めたくないんです。松田聖子の才能を低く見て「よかったよー」みたいなことを言いたくないんです。聖子への賛辞はみなさまにおまかせし、私は私の考えをこれからもブログに綴っていきたいと思っています。

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コメント

  1. クボッチ より:

    自分目線なだけの記事でしたね。私はいまの聖子さんの最高のパフォーマンスだと思いました。実際にはキーは低くても声が素晴らしい、上手いということが多かったですね。
    叩かれることが多い聖子さんが、あえて叩かれることがわかっていながら求められていることの期待に答える姿に素晴らしいと思いました。良くても悪くても批判されるのが、松田聖子というブランド。
    批判なら誰でも出来る。
    私はアッパレを送りたい。

    1. renkinjutsu4 より:

      コメントありがとうございます。クポッチさんのご意見、ごもっともだと思います。私も立派だと思っています。でも「聖子ちゃんよかったよねぇ。頑張ったよねぇ」なんて、相手を低く見た感想をいうつもりはありません。

      私は松田聖子のファンです。ただ80年代の松田聖子が最高だったとは思っていません。また、世の中の期待に応える必要もない、と私は思っています。

      最後に、これは個人ブログです。私目線の記事をこれからも書いていきます。私がこれまで生きてきて、松田聖子ファンとして人生の2/3をはるかに超えた私の感じたことを、これからも書いていきます。
      ありがとうございました。

  2. ボッサクバーナ より:

    ゑり音さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくね。
    記事、読ませていただきました。

    聖子の紅白の歌唱について、テレビを見て、録画を見直していた時は口パクという考えは全く浮かびませんでした。キーがかなり下がっていることは、近年の聖子を見ていれば意外でも何でもなかったし、それによって曲の持つ景気の良さというか、活気が損なわれたことも、すぐ分かりました。ただ、それでも前のコメント主のおっしゃる通り、今、聖子にできる‟永遠のアイドルとしての聖子”としてはベストを尽くしたと考えていました。

    今、改めて録画を見直しても口パクがどうかはわかりません。しゃくりがないといっても近年の聖子はとうにしゃくりが出来なくなっていますし、高音をストレートに歌っていた→つまりタメがなかった、という点は聖子のここ十年ほどの悪癖が修正されていたということで、これが口パクの証拠では・・・うーん、聖子は歌手として終わりってことだよね。だから、もし今回の聖子が一部のネット情報で散見されるように口パクなら、聖子には・・・引退勧告です。もちろん、そうなって欲しくないので、そうでないことを信じたいのですが。

    ただね、聖子は‟永遠のアイドル”という看板では紅白はもう出るべきでないと思う。あくまで今の聖子として必要とされるのでない限り。‟永遠のアイドル”ではどんなに頑張っても過去の80年代聖子のパロディーにしかならないし。今のところ、聖子の今はSeiko Jazzの方向になるのでしょうけど、去年のコンサートを見た率直な感想を言えば、私は他のファンの方々が言うほどの絶賛はできないの。それまでの硬直し、くたびれ切った聖子ポップスよりましだ、というだけで。一方で、私がその耳に信頼を置いている方が、去年末のビルボードのライブは本当に良かったとおっしゃっているし、来年早々に発売予定のSeiko Jazz 2とそのライブに希望をかけたいと思っています。

    ユーミンのあの歌は何だろうね。歌唱としてはボロボロだったけど。一番は曲の圧倒的な素晴らしさ、そしてバックの見事さ。そして何よりも他の誰でもないユーミンが歌うことで、曲自体が幾世代もの日本人の過去のノスタルジーに共鳴しあうことができたこと。聖子にはあそこまでは出来ないような気がする。

    1. renkinjutsu4 より:

      ボッサクさん、コメントありがとうございます。

      ユーミンのすごさを考えた時、キーがさがろうが、声がかすれようが、声が変わっていないってすごいことだと思うんです。ユーミン自信も
      「私の歌は私の声や歌いかた全部含めての作品なんだ」
      と。ユーミンというジャンル、ユーミンブランドは、ほんとに凄まじいPOWERを持っているんだなぁと今になってますます感じています。おそらく、ユーミン自信も試行錯誤、自分の体力や声との格闘は当然あるでしょう。でもそれを超えていく力ー信頼できる仲間や自分を信じる力ーがあるんだろうなぁって。聖子の立場からしたら羨ましいですよね。せめて相澤社長が生きてくれていたら・・・ないものねだりです。

      矢野顕子のTwitterで「ゆーみんすごい!くちぱくじゃない!」って発言があったんです(笑)これって、結構深い言葉だと思いません?

      聖子の今の声は息が漏れすぎているんです。息をコントロールするべき筋肉がほぼ機能していないように私には聞こえました。あれが口パクか生声か関係なく、です。慢性的な声帯炎のように聞こえます。なのでJAZZからするとそれを逆手にとって武器にできるのでしょうね。でも、その声に頼りすぎるのは危険だとも私は思っています。

      私も過去のアイドル役はやりきったと思っています。だからこそボッサクさんの
      >聖子は‟永遠のアイドル”という看板では紅白はもう出るべきでないと思う。
      に私も同じ気持ちです。

      そうですか、ビルボード東京、よかったんですね。金額的に今の私にはちょっと無理だったのですが、席があれば来年2月のライブは行ってみたくなりました。

  3. ボッサクバーナ より:

    聖子の喉、いや声帯というべきかな‐の状態は、聖子の熱心なファンは薄々気づいていて心配していると思う。もちろん声の劣化(という言い方はキツイのだけど)はもう随分前から始まっているわけだけど、ここ数年はそれが急に進んだように聞こえ、年齢だけじゃないものが疑われたから。ただ、私はSeiko Jazzはその声帯の不調が、最近やっといい方向に向かい出し、そのリハビリとしての意味もあるのかなって、ちょっと楽観的に考えていたので、ゑり音さんのコメント読んでまた、心配になっちゃった。まあ、聖子はそういうこと、絶対に言わない人だから、外野から黙って見守るしかないのだけど。

    結局、ユーミンは究極的には曲であって、彼女の声と歌唱は(もちろん重要かつ不可欠なものだけど)その一部、聖子は逆に、声と歌唱がまずありきで、曲はその一部なんだと思うのですね。だからユーミンの紅白の時のようなパフォーマンスは聖子にはかなり難しい。もちろん、ユーミンだって数年前の紅白(春よ来いだったっけ?)はぐちゃぐちゃだったわけで、今回のように持ち直すには、彼女なりにすごい考えて体制を整えた結果だと思いますが。

    最近の聖子には”永遠のアイドル”という看板は桎梏になってきているし、実際、彼女の今の声はそれを支えきれないのが明白だから、そんなものさっさと捨てちゃえよって言いたいのだけど、世間的には聖子=永遠のアイドルだからね。難しいよね。そして聖子も実は、それが大好きだからなおさら。

    Billbordでのライブには面白いことがあったんだって。突然、ハプニング的にSeiko Jazz 2からの曲(Over The RainbowとWhen I Fall in Love)を歌うことになって、聖子もまだ歌詞をちゃんと覚えていないし、バックもその場でキー合わせをした程度のヘッドアレンジ。だからちゃんとした歌詞のかわりにラララ―とかるるる―っていうスキャットで応じたのだけど、それがすごく良かったんだってさ。確かジャズも最初のスキャットもサッチモが歌詞のカンペが風で吹き飛ばされて、それで仕方なしにアドリブで言葉じゃない歌を歌ったのが始まりだよね。それを聖子は知ってか知らずか、そのままなぞったわけだ。Seiko Jazzの物足りなさは、バックと一体になって音楽での会話を楽しむようなスポンティニアスさがないところだったので、聖子がそういう面白さに気づきだしたということなら面白いな、と思って期待しています。

    1. renkinjutsu4 より:

      >突然、ハプニング的にSeiko Jazz 2からの曲(Over The RainbowとWhen I Fall in Love)を歌うことになって、
      >聖子もまだ歌詞をちゃんと覚えていないし、バックもその場でキー合わせをした程度のヘッドアレンジ。
      >だからちゃんとした歌詞のかわりにラララ―とかるるる―っていうスキャットで応じたのだけど、それがすごく良かったんだってさ。

      ボッサクさん、それは大大大事件です!!なんと素晴らしい!それこそが松田聖子です!!

      私も、いまスキャットで歌うことをメインにやっていこうかと思っていて、ちょっとトライアンドエラーしているところなんです。まあ、私の話はどーでもよくて、歌を歌う上で歌詞=言葉って、かなり声帯に負担をかけてるんです。これは日本語というか日本人にとってなのかもしれません。
      母音を変える時に喉の位置が変わるんです。アゴの位置もそもそも口の形が変わりますよね。その変わる時に喉に負担をかけることが多いんです。うまく言えないんですけれど。

      だからその人本来の”歌う能力”としては、スキャットが一番なのではないかと、常々思っていたところだったんです。また、今回のハプニングのように、まさしく生きた音楽を奏でようとすると、もうどうしてもその人の素直さが出てしまうじゃないですか。刹那的な、もう2度とやり直しができない音楽を奏でることができる、本当に素晴らしい!!
      実際に聞いてはいなくても、その方の感想を伝えていただけたことで、それがどれほど素晴らしかったか、ひしひしと伝わってきます。

      サッチモのことは、初めて知りました!そうだったんですかぁ。やっぱりハプニングは幸運の担い手なんですねっ。

      多くの人に注目されて期待されて結果を出すとは、本当に本当に苦しく辛いことだと思います。松田聖子は人形じゃない。だからこそ、叩かれるだけの価値もあるんだと、思います。
      Whitneyが声が出なくなってもライブをする姿に、実際に耳に聞こえてくるもの以上のものを私は感じました。それはその凄まじい巧さです。失ったと思うことは、もしかしたら得ているもしくは、脱皮して石からダイヤモンドになることなのかもって。

      好きか嫌いかではなく、今後の松田聖子は、その生き方という意味でも注目です!

  4. blue より:

    ゑり音さん、こんにちは。

    松田聖子さんに関して検索しているうちにここに辿り着きました。

    まず、ゑり音さんの聖子さんの紅白での歌唱を聴いた感想を読んで思ったのは、聖子さんへの思いが痛く理解できるという事です。

    ゑり音さんの発言を批判している方もいらっしゃいますが、私は常々、何でも賞賛するというのは、本来の聖子さんを理解していないからではないかと思っていました。

    今回の紅白に関しても同様です。

    正直、残念でした。

    年齢のせいにしたくない。素直に感じた自分の残念さに上等な言い訳をして、絶賛するのは簡単だけど、諦めたくないと思いました。

    今の松田聖子はこんなもんではない。そう思ったのは、ゑり音さんと同じです。

    だけど、聖子さん本人はどうなんでしょう?ふと、考えさせられました。

    多くのファンの絶賛を聞き、気持ち良いのでしょうか?ファン以外の評価や、一部のゑり音さんのようなファンの評価は無視されるのでしょうか?

    そうであって欲しくないと、心から願います。歌手としてのプライド、それさえ失わなければ、松田聖子はこれからも素晴らしいシンガーであり続けると信じています。

    最後に口パクに関してですが、正直、私もユーミンとの差を明らかに感じました。生きた生声に聴こえませんでした。真偽は本人にしかわからないので、聴こえませんでしたとだけ、書いておきます。

    1. renkinjutsu4 より:

      blueさん

      コメントありがとうございます。(私はアルバム「citron」のblue、大好きです)

      blueさんのコメントに思わずじーんと来てしまいました。

      >聖子さん本人はどうなんでしょう?ふと、考えさせられました。
      そうなんですよね。私みたいなファンはうざいだろうなぁと。聖子さんには聖子さんの都合があって、方針がある。blueさんがおっしゃるように

      >多くのファンの絶賛を聞き、気持ち良いのでしょうか?
      そう、それが聖子さんの幸せなら、私なんかが文句言うのはお門違いとも思います。

      そんな意味で、私にも葛藤が常にあります。

      だけれども、突き詰めていくと
      >松田聖子はこんなもんではない
      blueさんのこの言葉に尽きるのです。
      そこを諦められないんです。

      口パクに関しては、実際に歌ってはいると思います。ただ、その歌声を電波に乗せて放送したかどうかはわかりません。
      私としては、口パクでもあの歌い方だしたら、聖子さん自身が相当、かなり辛いだろうなと感じています。2年前、「ルリラー、ルルリラー」と歌っていた時は口パクでも今よりは出ていました。それでも、もう先はないってくらいに喉の力を振り絞って出していたように聞こえたので、とっても心配していたんです。
      私の心配が取り越し苦労でることを切に願っています。

      私のブログを訪れてくださった上にコメントもいただけてとっても嬉しいです。
      この記事を批判なさっている方は多くいらっしゃると思います。でも、その方々も”なんらかの危惧”を感じたから検索して私のブログを読んでくださっているのだろうと。こういうブログをやっていると正直怖いこともあります。でも、松田聖子という、ただの歌手をこんなに真剣に思っている人が多くいることを、その熱みたいなものが聖子さんの力になったらなと思います。

  5. ケイ より:

    ゑり音さん、
    こんにちは。いつも拝見しています。
    毎年紅白の後のゑり音さんの記事を楽しみにしています。
    今回の紅白はヒットメドレーでした。
    僕も、ゑり音さんや、その他の方のご意見を読みました。
    放送を見たときの感想は…
    なんか、こもったような、薄いヴェールがかかったような音だったな、と。
    口パクかどうか、毎年なぜか気になってしまう件ですが、渚のバルコニーとかの歌唱で、歌ってるかなー、と思いましたけど、そもそも、なんでそんな部分で、そんなに聖子ちゃんの場合だけ気になってしまうんだろうか、とジレンマのようなものを感じます。
    コンサートにも毎年行っていますが、もちろんコンサートでは口パクもありますよね。歌手を続けていくためにはある意味仕方ないこと、と思ってはいます。でも、その中でも生歌の部分あり、そのときは十分に歌えていると思うんです。声が生きている、というか。歌手、松田聖子を感じる歌声。
    なのに、紅白では、なんか不完全燃焼のような、開ききらない花火のような歌唱のように感じてしまいます。どうして?
    口パクかそうではないか、以前の問題というか、音響設備が悪いのかと思うほどの不完全燃焼感というか。
    過去の、あなたに逢いたくて、や、赤いスイートピーもしかり。
    コンサートでは、もっと自然に歌えているし、そう歌ってほしいと思うんですけど、違うんですかね。
    書いていても、よくわからなくなってきてます(;_;

    1. renkinjutsu4 より:

      ケイさん
      毎年読んでいてくださっているなんて、本当にありがとうございます。

      聖子ちゃんと紅白について、正直、私もよくわからなくなってきています^^;

      ただ、今回の記事でユーミンを取り上げたのは、”存在感”が違うって思ったからなんです。歌の出来不出来をはるかに上回る”存在感”。「ここは自分のホームよ!!」みたいな、ある種の図太さみたいな。
      聖子ちゃんを見ていると、なんか不安定さの方が上回っているような印象を受けるんです。

      聖子ちゃんって、いろんな取材記事や番組の中の彼女と、コンサートの彼女ってむちゃくちゃ違うと私は感じていて、特にカウントダウンコンサート。
      生粋の松田聖子ファンであり、またパフュームの追っかけやってる知人と一緒にパフュームのコンサートに行ったことがあるんです。彼女私に「ね、全然違うでしょう?聖子ファンと。一体感がないでしょ?みんなバラバラ」って言うんです。
      確かに、、、聖子を応援しよう!聖子を守ろう!みたいなファンの意思がコンサート、特にカウントダウンには充満していたんですよね。そんな中でなら、そりゃ聖子ちゃんも安心して歌えます。ホーム中のホームなんだから。

      でも年々、いろいろ変わっていく中で、自分のホーム以外のところで歌うことが苦しくなってきてるのかなと思っていました。声って、気持ちとか生き方とかを表現してしまうと思うんです。上手い下手じゃなくて。もしかしたら、ケイさんのおっしゃる”コンサートとの違い”の中には、そんな伝わってきてしまう雰囲気も影響しているのかもしれません。

      電話の声だけでなんとなく相手のことがわかってしまうような感じかな?って私は思っています。

      口パクだろうが、生だろうが、紅白で松田聖子としての力強いパフォーマンスがあればもっと違うと思うんです。ピンクのモーツァルトの時の衣装替えだったり、ガラスの林檎でのセットだったり。例えば大瀧詠一さんへのリスペクトで「風立ちぬ」をフルで歌ったってよかったのかな?って。そういう、なんというか、アイドルにも戻りきれず、アーティストにもなりきれず、ボーカリストとしても不安がある、、、松田聖子の着ぐるみを着ているように見えてしまう、私のような人がうざいこと言ってる。

      なんか持論ばっかりですみません。

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