の記事にコメントくださったTさん。
私は松田聖子のファンを20年以上しています。その中で引退するとかしないとか、考えたことはありません。それは彼女が決めることです。どんな決断をしようとそれを受入れて行くつもりです。
限界なのは”松田聖子”というブランドです。彼女や世間が作って来た”松田聖子”像、ブランドの限界です。それを追い続けるがために、彼女はどんどん歌い方に無理をしないといけない状況になっています。これが続けば本当に歌手活動の危機に直面する可能性も高いのです。
一時期は、「あ、ボイトレ受けたのかな?」「喉や身体のメンテナンスしたのかな?」という風に感じるくらい、声が復活したこともありました。でも長くは続かなかった。状態はどんどん悪化して聴こえました。
口パクについて、彼女が自分のコンサートでやっているだけならまだ甘く見ることができました。でも、音楽番組でもだんだん生では歌わなくなりました。
それでも「きっとコンサートツアーのために温存しているのだろう」と期待を込めて堪えていました。
でも、紅白は違います。全国で海外でもたくさんの方が注目しています。
そんな中、どう見ても今の松田聖子が生で歌って出せないと思われる音、そして母音を奇麗に、眉間にしわを寄せることなく歌っている姿が流れました。
気づけば多くの方が松田聖子が歌っているいないかを気にするくらいのクオリティだった現実を目の当たりにしました。
「歌えないなら紅白には出ないで欲しい。」
これは私の本音です。
私は「聖子ちゃんはかわいいから何やってもいいの」というタイプのファンではありません。松田聖子の姿勢がファンを育て、ファンの姿勢が松田聖子を育てて行くと思っています。歌手と言う看板をつけている以上、外してはいけない道があります。
歌える人であると言うこと。
別の方のコメントに「私は松田聖子にアンチエイジングなんて望んでいない。今の松田聖子として歌って欲しい」
と、歌手・松田聖子への想いが綴られていました。
それは私も同感です。
またタイトルを変えたことについて。
「タイトルがどぎつすぎる」とか「タイトルがあまりにひどい」というならわかります。でも、Tさんがおっしゃっているのは
「自信がない」
という点。指摘されて変えるくらいの自信しかないなら記事を書くなとまでおっしゃっています。
正直、そんな自信あってもなくても、私はどっちでも構いません。代償⇒真偽に変えたところで、私の言いたい内容に代わりはなかったので、情報を元に変更しました。
もし私に自信があるとしたら、松田聖子はまだ進化できる、そう思っていること。
でもそれも聖子さん自身が決めること。ただ私は遠くの世界からつぶやくしかできません。Tさんがコメントくださったことに私が反応しているようなことはないんですよ、何も届かないんですよ。
それでも、松田聖子をネタに記事を書いています。松田聖子をスキャンダルまみれの時も、落ち目でファンだというだけで白い目で見られても、コンサートでマライヤやマドンナの真似をして恥ずかしい気持ちにさえなった時にも、私は松田聖子のファンをやってきました。だからこそ書けることがある=私の思想の表現。
意見には個人差があります。
聴き方にも個人差があります。
文章の捉え方にも、表現の仕方にも個人差があります。
それを踏まえ、私の記事で不快になったのなら謝ります。
恐らく、ほとんど読まれないであろうこの記事。
Tさんも読むかわからないこの記事。
それでも、コメントへのお返事として、あくまで私の個人的な”私自身”を表現したつもりです。
私の大好きだったホイットニーヒューストンの声はもう聞くことが出来ません。彼女も復帰後は声がでなくて音域も狭くなってしまい、お客から「金返せ」と言われるようなコンサートをしていました。でも、恥も外聞もなく必死に歌う姿は本当に美しかった。
歌手である限り、松田聖子には歌える人であって欲しい・・・まだ生きているんだから。
ゑり音
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